随 想・・・・想いついたことを想いのままに書きます。ついついダジャレが入ってしまう!

                             
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NO65
(2005.4.21)

★川中島歴史ろまん編・変!

★川中島(かわなかじま)古戦場
(長野市川中島、松代町の近く)

●古戦場(こせんじょう)は霧で越(こ)せんじょう!

●後世に語り継がれる八幡原の両雄の激しい決戦は、暁の霧の中で火蓋を切った。時に信玄41才、謙信32才、ともに天下を見据えた引くに引けない戦い。

●戦場(せんじょう)では一歩も引けま・せんじょう!

川中島・・長野県の東北、千曲川と犀川の合流する三角州一帯ににあります。武田信玄と上杉謙信が合戦で一騎打ちした場所とも伝えられています。諸説があり本当に一騎打ちがあったかはさだかではありません。

信玄・謙信一騎打ちの像・・激戦のさなか、謙信は単騎、愛馬を手繰って、信玄本陣に切り込み、床几に腰をおろして指揮を執っていた信玄に信玄に馬上から切りつけた。信玄はとっさに持っていた軍配でこれを受け止めた。

5回に渡る川中島の戦い(足かけ12年)・・発端は


第1回 川中島合戦 天文22年(1553) 武田軍10000・上杉軍8000

第2回 川中島合戦 弘治元年(1555) 武田12000・上杉8000

第3回 川中島合戦 弘治3年(1557) 武田23000・上杉10000

第4回 川中島合戦(八幡原の戦い) 永禄4年(1561)・9月10日・・ 武田20000・上杉13000・・最も両軍が激しく戦ったのは、この戦いです。川中島の合戦といえば、第4回の戦いが代表的です。名場面やエピソードの多いのもこの戦いです。ドラマや映画で、このシーンが再現されています。

第5回 川中島合戦 永禄7年(1564) 小競り合いで終わったとされる


◆古戦場の八幡原の八幡神社
合戦の中心になった境内には色々な石碑や跡があります。








◆執念の石
武田・上杉両軍三万余の死闘を展開した川中島合戦の最中、作戦の失敗から緒戦の劣勢を余儀なくされ、身辺が手薄となった武田信玄めがけて切り込む上杉謙信の鋭い切っ先に、あわや信玄も八幡原の露と消えようとした間一髪、武田軍の原大隈が傍らにあった信玄の持槍、青貝の長柄を取って馬上の謙信めがけて冗一槍にと突き出した。苛立った槍は鎧の肩の上にそれ、残念なりと返す槍で謙信の鎧の肩を斜右上から力いっぱい打ったので、馬は驚き跳ね上がってその場を狂奔し去ったため、信玄は危うく虎口を免れることができた。一方謙信を取り逃がし、無念やるかたない原大隈は、傍らにあったこの石を槍で突き通したといわれる。



◆三太刀七太刀之跡(写真左)

謙信は乱戦で武田本陣が手薄になったのを見て、旗本数騎をつれ信玄の本営を強襲した。馬上より流星一閃、信玄は軍配で受けたが、続く二の太刀で腕を、三の太刀で肩に傷を負った。後でこの軍配を調べたところ刀の跡が七ヶ所もあったといわれ、この一騎打ちの跡を世に三太刀七太刀の跡という。

◆逆さ槐(えんじゅ)・・信玄本陣のあった場所(写真右)
山本勘助の進言による「キツツキ戦法」の採用を決定した信玄は、永禄4年(1561)9月9日夜、ここ八幡原に上杉軍挟撃の陣地を構えた際、この場所に土塁を積み重ね、矢来を組み、楯をめぐらして本陣をおいた。このとき土塁の土止めに自生のエンジュの根を逆さにして、杭を打ち込んだのが芽を出して、その後、400年を経て巨木となった。辺りに低い土塁の跡が見える。これは信玄本陣を示す枡形陣形跡である。

◆首塚(写真左) 
この碑の下の塚は首塚といわれ、この合戦後、武田方の海津城主であり、武田二十四将のひとりである
高坂弾正(こうさかだんじょう)が激戦場となったこのあたり一帯の戦死者(6千余人)の遺体を敵味方の別なく集め、手厚く葬った塚である。この処置に感激した上杉謙信は、後年塩不足に悩む武田氏に対し、「われ信玄と戦うもそれは弓矢であり、魚塩にあらず」と直ちに塩を送り、この恩に報いたといわれ、乱世に咲いた美学とほめたたえられた。


◆田中月亀(げっき)翁親父子の歌碑(写真右)
田中月亀は本名亀太郎、長野市東北の人で松代藩主・真田幸教(ゆきのり)に仕え、学問に熱心で歌道にも長じていた。その子亀作も亀守(かめもり)と号し、風雅の道で知られていた。この歌碑は、田中父子の和歌をしるしたもので、表の和歌は、川中島の大激戦の様子をしのび、裏の和歌は大合戦の終わった後のここ八幡原一帯の情景を歌ったものである。

(表)  
跡しのぶ 川中島の朝あらし いぶきのさ霧 おもかげに見ゆ 月廼亀麿(つきのかめまろ)

(裏)  
月影の入りにし後(のち)も ほととぎす ひとこえ残す 小島田の里 月廼亀守(つきのかめもり)


◆古戦場付近の様子・・
公園の一角で流し雛やお茶会の催しが行われていました。











◆古戦場のお店・・
「風林火山」(武田)や「毘」(上杉)の旗が並んでいました。「毘」は上杉の守護神・毘沙門天の1文字。お店で買った信州のりんご。





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